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u Column #011  映画"踊る大捜査線"に見るクロスメディア・プロモーション(2002.1.17)
少し古いが、1998年10月30日に公開された「踊る大捜査線 THE MOVIE」を題材にして、映画とテレビ、インターネット、紙媒体等を駆使したクロス・メディア・プロモーションの成功事例を紹介してみよう。

踊る大捜査線 公式Webサイト

http://www.odoru.com/

■踊る大捜査線の始まり

「踊る大捜査線」は、日本映画史上歴代4位の大ヒット作となった。上映期間は約5ヶ月、観客動員数700万人、興行収入52億円という記録を樹立し、その制作手法やプロモーション手法は、業界関係者の間では、「伝説」という形で語り継がれているものなのである。

「踊る大捜査線」は、映画バージョンもテレビドラマバージョンも、共同テレビの若手ディレクターである本広克行氏が監督として起用された。本広氏は、「踊る大捜査線」のプロデューサーとの話し合いの中で、「従来にはない新しい刑事ドラマを作る」というコンセプトを明確に定めていた。本広氏は、「踊る大捜査線」の撮影までに、20数本のテレビドラマの制作、2本の映画の演出も手がけていたが、実験的な試みを演出に取り入れる手法で知られていた。本広氏は、スタンリー・キューブリックの「ハードがソフトを変える時代」という言葉を好んで引用し、「視聴者や観客を飽きさせないためには、あらゆる機材を投入する」として、常に最新鋭の特殊機材を惜しみなく投入し、更に映像の編集に情熱を注ぐ監督であった。

また、シナリオを書く人物には、脚本家の君塚良一氏が選ばれた。君塚氏が、「踊る大捜査線」のシナリオの制作を検討したときに注意したことは、「太陽に吼えろ」の真似は絶対にしないということであったという。それまで、刑事を主人公にしたテレビドラマで「太陽に吼えろ」シリーズの演出を参考にしたものは非常に多かった。それらはいわば”定番”という形でドラマ制作の中に取り込まれてきたものばかりだ。例えば、刑事同士があだ名で呼ぶ・銃撃戦・カーチェイス・乱闘シーン・犯人に手錠をかけるシーン・音楽に乗せて聞き込みを行うシーン・・・等、よく刑事ドラマで行われるシーンは全て「禁じ手」としたのである。

このようなスタッフによって制作が始まった「踊る大捜査線」であったが、当初は誰もこの番組の成功を予測することは無かったようだ。テレビ番組スタート時の視聴率も18.7%と、「まずまず」のスタートだった。ドラマ「ビーチボーイズ」が平均視聴率23.1%、最高26.5%を記録したこと等に比べれば、決して大成功のうちに番組がスタートしたわけではなかったのである。

■小道具からはじまったスタッフ達のこだわり

台本を担当する君塚氏は、自身の台本については、アドリブなどの「現場での変更」を許容する姿勢を取っていた。業界の中では完成された台本を好んで作る脚本家もいるが、彼の場合は逆で、現場から良いアイデアがあれば、そちらを取り入れていくようなスタイルを取っていたのである。これが、現場のスタッフ達のやる気を引き起こす一つの要因になっていたのは間違いない。また、本広氏の細部にまでこだわる演出がそこに加わってきた為、相乗効果で多数のスタッフが様々なアイデアを出し、それらが取り入れられていったのである。例えば、美術スタッフ達が作り出した様々な小道具がある。「レインボー最中」「カエル急便」「キムチラーメン」「ピンクサファイア」等の小道具は、ドラマを通して一貫して登場し、連続性を持たせた演出がなされている。これに気付いた視聴者たちは、その「次」の展開を追って更にそれらを注意してみるようになる。いわば、メインストーリーとは別にサブストーリーが展開されていくような動きをドラマの中に取り入れたのである。これは、「機動戦士ガンダム」というアニメが、様々なサブストーリーを生み出し独特の世界観を構築したのと非常に似ている。これにより、「踊る大捜査線」の世界は、現実の世界と同時に動くパラレルワールド的な視点を視聴者にもたらすことになったのである。


■パソコン通信での広がり

このようなパラレルワールド的世界については、一部のマニア的な視聴者にとっては、非常に強い興味の的となる。例えば、前述の小道具の動きに加え、現実の警察組織内部での階級制度や機動隊やSAT(特殊急襲部隊)の装備に関する情報交換等、マニアの間で繰り広げられるネタは自然発生的に広がってくる。この議論が繰り広げられる場所として、97年当時はパソコン通信が使用された。「テレビドラマ・フォーラム」内に設置された「織田裕二ドラマ会議室」がそれである。このフォーラムはテレビドラマファンとNIFTY SERVE(当時)が作ったものであり、制作サイドは一切関係のないものだった。このフォーラムへの書き込みは回を追う毎に増加し、開設期間中(1997年1月6日〜3月31日) の書き込み数は1347件と、同フォーラム始まって以来の記録を樹立することとなったのである。

こうして、単純な番組放送であった「踊る大捜査線」が映画で大ヒットをもたらす下地が静かに作られつつ、テレビドラマとしての放送は一端終了することとなったが、一部のドラマファンの間では評判が高かった為、その後もビデオソフト発売などを通して少しずつ一般の視聴者に対しての認知度も上昇していったのである。

■映画制作とクロスメディアプロモーションの展開

さて、ここで本題となるのだが、テレビシリーズの人気により、フジテレビは映画化を決定した。この映画化の際に、出版・放送・広告・インターネットの各種メディアが使われたのである。まず出版についてであるが、「踊る大捜査線」に関する出版物の企画が数多くフジテレビに持ち込まれた。この持込企画に関して、フジテレビ側では基本的に全ての企画を了承した。いわばインターネットの世界のように、自発的な情報発信を行わせる状態を作ったわけだ。この出版については、企画内容としては、サブストーリーものや「踊る大捜査線」に登場する各種小道具についての解説本など、様々なものがあったが、これらが「踊る大捜査線」の世界観を作るのに役立ったのは言うまでもない。さらに放送メディアでは、映画公開に先駆け、湾岸署の婦人警官たちを主人公にしたサブストーリーを展開。また、スペシャル番組として2本を提供することで、「踊る大捜査線」の訴求力を強化する役割を担った。次に映画予告編についてだが、映画の撮影が進んでいない段階での制作であったことで、CMを作る上での制約条件が全くない状態での制作となった。これが最終的には良い結果を生むことなり、「総理官邸」や「レインボーブリッジ爆破」等本編とは全く関係のないものが出てくる良い意味での「悪のり」CMとなった。

■オフィシャルWebサイト開設

スペシャル番組放送と同時に、当時としては非常に先進的な試みであったオフィシャルWebサイトも開設された。このサイトは、当時としては画期的な会員制を取り入れ、発行IDごとに異なるアクセス権限を設けるなどの実験的な仕組みを取り入れていた。登録会員は、掲示板上で自由に他のファンとの情報交換が行えたため、アクセス数は最高潮の時で1日で90万ヒットを超える等の記録を樹立していくこととなった。この動きは制作サイドも把握しており、視聴者の意見として取り入れるまではいかないものの、生の意見が聞ける場所として活用した。

■まとめ

ワンソースマルチユースという言葉がコンテンツビジネスの世界に使われるようになって久しい。しかしながら、実際にワンソースマルチユースでビジネスとして成功している事例は極めて少ない。実際のワンソースマルチユースとは、この「踊る大捜査線」のように一つのコンテンツを複数のメディアで展開するにとどまらず、それぞれのメディアの長所を活かす形で相乗効果を生むような戦略を展開するのが望ましい。今回取り上げた「踊る大捜査線」については、意識的にそのような戦略がとられたわけではないが、成功事例として参考にするべき点は多いのではないだろうか?