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外国人製作の益子焼は、独特の雰囲気とアート感覚を醸し出す
益子焼の歴史

益子焼とは、江戸時代末期に笠間で修行をしていた大塚啓三郎が窯を栃木県に築いたことに始まるといわれている。それ以来、優れた陶土があること、東京という市場に近いことなどから、当初は日用道具生産の場所として発展。アートとして注目されるようになったのは、1924年に濱田庄司がこの地に移住し、「用の美」に着目した柳宗悦らと民芸運動をすすめてからのこと。

彼らは地元の工人たちに大きな影響を与え、「芸術品」としての益子焼を確立する基盤を作る。現在では、窯元は約380、陶器店は約50件にまで成長し、若手からベテラン、そして外国人までもが、この地で窯を構え、その作風も多種多様である。(MASHIKO HANDBOOKより)

 

これも外国人製作の益子焼
日本人の感覚を超えたところで生まれるアート的な発想が見えてくる
現代アート的インスピレーション 

この地に行き、実際に数多くの作品を見てみたが、伊万里焼等の日本伝統工芸に比べると、非常に雑多で、簡単に言ってしまえば現代アート的なインスピレーションを受けた。作り方も理路整然とした、いわゆる「美しい食器」とは全く違うアウトロー的な作風が多い。だが、これらの焼物を見ていて、現代のアートな世界や、若い世代の人たちには、非常に受け入れられやすいのでは?と思った。実物を見てもらうのが一番だが、余計な説明などは必要としないような骨太さが益子焼にはある。かっこいいショットバー等でちょっとした料理を食べるときに、こんなお皿で出てきたら、お店の雰囲気も更にアップするかもしれない。
 
陶芸をアートとして捉える視点

益子には、外国人の陶芸家も多い。彼等のアトリエには、日本人の感覚にはない独創性がある。例えばこの写真のように、外から見ると新進気鋭のアーティストが作ったような小さなアトリエが展示されていた。この中には、なぜかヒップホップのCDや、ライトアップ用のランプなどが設置されている。(写真右下)外国人に映る陶芸のイメージは、このようなものなのかもしれない。

ギャラリー(陶庫[art spece JONAISAKA)の外観。グレーと白でモダンな雰囲気。外壁には落書きというかメッセージが書き込まれている。
※ギャラリーの展示品は時期によって異なります。
 
当然ながら、、、外国勢ばかりではない、日本勢の頑張り 

当然のことであるが、外国人ばかりが益子焼を仕切っているわけではない。あくまで益子焼は日本の伝統陶芸なのだ。そのパワーは、外国人のそれとは全く違う。そこに存在するだけで、ある種の威圧感というか、存在感の「厚み」が違うのだ。外国人がビジュアルを重視するのであれば、日本勢は存在する「場」全体の雰囲気を仕切っていくような、そんな勢いを感じるのである。


周囲の雰囲気を 変える日本勢の作品

そもそも、益子焼というものがこの地に芽生えたとき、そのコンセプトは「用の美」であったはず。その昔の考えは定かではないが、現代風に直訳すれば、それは「機能性の追及がアートにつながる」ということではないだろうか?
だとすれば、シンプルで機能的な形を追及していくことこそが、益子焼の真髄なのかもしれない。
日本の伝統と、外国人の発想が、新時代の益子焼のコンセプトワークを始めている中でも、この「用の美」の伝統は広く受け継がれていくに違いない。そんな印象を益子焼を見ていて思った。
益子焼と外国人、益子焼とアート、

日本に流れる伝統芸能としての益子焼と、外国人がそれを見て受けるインスピレーション。それらが融合してきた場所には、これまでと全く違う新しい益子焼が生まれてくるのではないだろうか?
日本のセレクトショップ等で益子焼を使った新しいスペースが出てきても全く不思議ではないのだ。畳の上で使わなければならないとか、お茶を入れる為の茶碗だとか、そんな決まりごとは遠い昔のこと。その形や色が生きる使い方をしてこそ、焼物たちの存在価値が一層高まるというものなのであろう。